学校を忘れる

不登校対応の結果、こどもの学校に反応する恐怖だけが消失するのであり、「学校」の存在、自分が本来所属しなければならなかった場所自体を忘れるわけではないのでしょうか。
それとも、こころのエネルギーがたまったら、学校をどこかで新たに知るのですか?思い出すのですか?そのまま、忘れ去って、学校という存在に見向きもしないこどもの方が、一般的(不登校対応をしてきた経験者として)ですか。それも含め私のこどもに、全てを任せようと決めていますが。

不登校対応の結果、こどもの学校に反応する恐怖だけが消失するのであり、
そうです。これが最優先されます。

>「学校」の存在、自分が本来所属しなければならなかった場所自体を忘れるわけではないのでしょうか。
日本の中では、義務教育は子どもの心を強く縛っています。不登校問題が義務教育の間に解決した場合には、学校を忘れていません。義務教育機関を終えて不登校問題が解決した場合、学校を忘れられるようです。それでも子ども自身が何かに目覚めて、学業を必要としたときには、学校を思い出します。思い出して学校を求めるようになります。

>それとも、こころのエネルギーがたまったら、学校をどこかで新たに知るのですか?思い出すのですか?
心のエネルギーがたまったら自分の生き方を優先するようですから、自分の生き方と学校との関係がない場合には、学校を忘れてしまいます。自分の生き方に学校が必要となる子どももいますから、そのような子どもは自分から学校を求めます。

>そのまま、忘れ去って、学校という存在に見向きもしないこどもの方が、一般的(不登校対応をしてきた経験者として)ですか。
私の経験の範囲でも、学校という存在を見向きもしない子どもを多く見かけます。不登校の子どもの母親に、その子どもなりの成長に沿った対応を求めていますから、そこにはあまり学校が存在していないようです。

>それも含め私のこどもに、全てを任せようと決めていますが。
結論はそれにつきます。