皆様に是非読んでいただきたいMSG1

>ご飯を作り、家の中を整え、子どもに適切なアドバイスをしたり、困っていそうなときはそれを察して手を差し伸べたり、子どもの性格や好みをよく見て合いそうなものを差し出したり、学校や社会に出たときに困らないように事細かにあれこれ教えたり…そういうことがちゃんとできるのがいいお母さんだと思っていました。
賢母の姿ですね。半世紀前までの日本の御母様のあり方です。子どもの数も今より多くて、また家事も重労働で、母親は子どもの相手をする時間がありませんでした。子どもの方でも、自分で生活できる大人になる必要を理解できました。其れは当時の日本が未だ貧しかったからです。貧しいと言うことは、ここに書かれているような母親の姿が子どもにとってご褒美になりました。学校が辛くても、勉強が辛くても、この母親からの対応で癒やされて、大人になれました。不登校になる子どもはほとんど居ませんでした。
ところが現在の日本は豊かです。子どもは物質的に満たされていて、母親も必要以上に子どもに関われますから、家庭内に子どもにとってのご褒美が無くなってきています。それ故に学校が辛いと、勉強が辛いと、その辛さを癒やせる物がゲームやネットしか無くなりました。その子どもの辛い心を癒やせる物も制限されてしまうと、学校での辛さ、勉強の辛さを癒やす物がなくなってしまいます。その結果が不登校の子どもが増えてきたことの原因になっています。勿論全てが全てこれだけの理由では無いですが、大きな要因になっているはずです。

>子どもが不登校にならなかったら、今でもそれが私にとっての理想的な母親像だったかもしれません。でも、今は違います。
今の子ども達がこの賢母の姿を求めているなら、この賢母の姿で良いです。また、心が元気な子どもですと、この賢母の姿は子どもの能力を伸ばすはずです。ところが今の日本は物質的に豊かになったために、子どもがこの賢母の姿を求めないばかりか、かえってこの賢母の姿が負担になっていやがる子どもが多くなっています。特に不登校などの心が辛い子どもでは、この賢母の姿が登校刺激や子どもが辛くなることを求めることになっています。その意味で御母様のお子さんに関して、御母様の判断は正しいと思います。

>今の私にとっての理想の母親は「うちの子はこれでいいんです」(ついでに「私もこれでいいんです」)と堂々としていられるお母さんです。
不登校などの心が辛い子どもでは、母親との信頼関係が子どもの心を元気にします。賢母の姿は子どもを信頼していないという意味になるからです。

>自分の言動の何が子どもを否定することになるのか、最初はよくわかりませんでした。「えっ?こんなことも?」ということが否定になっていたりもして…でも、徐々に坂を下り、最後は一気に本当に酷い(地獄のような)状況に陥って、そこから死にそうな思いで子どもと這い出たときに、不用意な言動が子どもへの否定になってまたあの場所に戻ってしまうなら、子どもが望んでもいない母親発の行動と言葉は止めようと決めました。
不登校などの心が辛い子どもを育てたことが無い人には分からないことですが、大人の持つ常識が、心が辛い子どもの心を苦しめてしまうと言うことです。常識ではとても理解できない子どもの心の動きです。
子どもの辛さを認めよう、子どもを信頼しようとする母親の姿ですね。御母様もお子さんが居る地獄に落ちたことで、お子さんの辛さを理解できたのだと思います。母親と子どもとの信頼関係があることで、二人で地獄から這い出して、子どもが元気になるまで時間がかかります。

>最初は黙っていることにも緊張し、話しかけられると「余計なことを言わないように」と緊張していましたが、慣れてくると「聞かれたこと以上のことは言わない」が上手くなってきて、「子どもが何も言わないのは必要がないからだ」「本当に望むこと、聞きたいことがあったら自分から声をかけてくる」「その気になったら放っておいても行動する」ということが少しずつ実感できるようになりました。
これが不登校などの心が辛い子どもの心に沿っている母親の姿ですね。大人と違って子どもは心が元気になると、子どもが持つ本能から成長をしようとします。心が楽になるとその本能から子どもはその子どもなりに自分を輝かせようとします。其れを信じてあげると、必ず子どもはとても力強く大人に向かって成長をします。
是非、不登校などの心が辛いお子さんを育てていらっしゃる御母様に理解していただきたいことです。