今の時代

ある母親からのMSGです。その母親の子ども時代のことは省略します。
現在の母親は共稼ぎで、夫婦で交代で朝子どもを保育所に預けにいき、夜迎えに行きます。住んでいるマンションでは顔を合わしたときに挨拶する程度で、子供の遊び相手はいません。子供が幼いときは絵本を読んだり、一緒に歌を歌ったりしていましたが、今は親にその余裕もありません。家の中では子供が希望するおもちゃを買い与え、遊ばしています。子どもはタブレットの動画を見るのが好きです。

>現在の母親は共稼ぎで、夫婦で交代で朝子どもを保育所に預けにいき、夜迎えに行きます。
これは現在多く見られる子育ての姿です。母親のキャリアのために、母親と子供との触れ合いが日中はありません。其れは仕方が無いことだし、保育所の保育しさんが代理母をしています。その代わりに保育所から帰った後で母親と子供との間に十分な心の触れ合いがあれば、具体的には思いつくままの会話とスキンシップがあれば、子供は向かし野山を駆けまわったときと同じような子供と同じような心の発達が可能だと推測されます。

>住んでいるマンションでは顔を合わしたときに挨拶する程度で、
これは母親の孤立感を感じさせますね。母親が母親なりの世界を持っていれば、マンションという近所づきあいもそれほど問題にならないと思います。孤立感を感じるようになるときとは、母親が何かで辛いときです。近所づきあいがあっても、気心が知れていないと、孤立しているのと同じですから、普段から母親なりに辛さを解消する方法を見つけておく必要があります。

>子供の遊び相手はいません。子供が幼いときは絵本を読んだり、一緒に歌を歌ったりしていましたが、今は親にその余裕もありません。
これは御母様が生活に精一杯という意味だと思います。心に余裕がないと言う意味ですから、母親なりの楽しさを持ちながら子育てをすると言うことになると思います。

>家の中では子供が希望するおもちゃを買い与え、遊ばしています。子どもはタブレットの動画を見るのが好きです。
これも少子化時代の自然の成り行きでしょう。この子供の姿を否定しないで、このネット社会からの経験から、子供なりの経験をして、それをその子供なりに蓄積していけば良いのでしょうが、学校の成績には役立ちません。多くの親は学校の成績に注目して、それを高めるために、親を犠牲にして、子供を犠牲にして、それを求めています。今の時代、学校の成績が確かに進学に影響を与えるでしょうが、子供の生き方にどれだけ役立つのか、疑問を感じる場合を経験します。