見た物をなんと認識するか

ある書籍からの知識です。野生の猿は蛇を怖がります。その本では、野生の猿は本能的に蛇を怖がると書かれていました。猿が蛇を怖がるのが本能だとしたら、人工的に育てられた猿も蛇を怖がるはずですが、必ずしもそうではないようです。あくまでも推測ですが小猿が母親の元で育てられている間に、母親からミラーシステムで、または母親と一緒に居る間の恐怖経験で、学習したのではないかと、推測しています。

それは人間が蛇を怖がることの一因となっているもかも知れません。現実に始めて蛇を見て怖がらない子供も居ます。又、大人と同じように大声を上げて蛇を怖がる子供も居ます。人間の場合蛇を怖がるというのは必ずしも本能ではなさそうです。蛇を怖がる人は、それまでの間に蛇が怖い存在だと学習したと推測されます。蛇を怖がる人、蛇を怖がらない人、どちらの人も日常生活に問題を生じません。

草むらに蛇のような色をした縄紐が落ちてきて、それを見た人の一部は「あれは何だ?蛇かな?」と反応をする人と、それを見ただけで「蛇だ!」と叫んでその場から逃げ出していく人が居ます。「蛇かな?」と反応をする人は未だそれが蛇だとして反応をしていません。そしてその縄紐を調べて蛇でないと理解して、特別の反応をしません。脳内では見た物を吟味しようとする反応が生じています。一方「蛇だ!」と反応をした人は、脳内で蛇としての反応を生じています。見た物が蛇でなくても、蛇としての反応を体中に表現して、その見た縄紐から逃げ出してしまいます。

草むらの縄紐が蛇そのものだったとき、「荒れは何だ?蛇かな?」と思った人でも、見た物を蛇だったと認識して、その人の持っている蛇への対応法で行動をすることになります。その様な人の中には、蛇だったと言って慌てて逃げ出す人も居るかも知れませんし、危害を加えないならこのままでやり過ごすという人も居ると思います。

見た縄紐を実体とは異なって蛇として理解して、生じた恐怖から行動をする人も居れば、見た物を実際に即して、縄紐だと、又はほんとうに蛇だったと、反応をする人が居ます。このような人たちのことを私たちは理解できます。それをトラウマという観点から考えてみますと、見た縄紐を蛇だと理解して反応をした人は、蛇に反応をして辛くなるトラウマを持っていることになります。蛇だと分かって蛇に対する対応が出来る人は、蛇に対する単に恐怖反応を示したと、トラウマとは違った考え方をします。